るまるにっき

Daily record 2018

花冷え

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悲しくて苛立って臍で茶を沸かすどころか臍で牛スジを煮込めそうなくらい煮えくり返って泣きそうになったので桜を見に行きました

満開だった

辺りには花の甘い匂いと、屋台のソースの香りが漂っていた

子供の声や大人の歓喜の声、カメラのシャッターの音、人々が砂利の地面を歩く音、樹齢300年以上の大木の周りに、たくさんの年代の人在れど、300年も前の者おらず

しかし100年前までは、100人の老人がその木の太い幹に腰掛けることができたと言われている

山梨県北杜市武川の、神代桜

どんなに今が辛くても、桜の木の300年に比べたら、ひとときの事で

単純に命の長さのベクトルが違うので比べる事ではありませんが

しかしなんとなく、一瞬の今でもかなしくてやりきれなくなってる自分がいかにただの一時の感情にすら揺れ動いてしまっているのだと思うと未熟さや弱さを感じてしまうのでした

 

花より団子

以上

 

 

 

北海道に来たリターンズ

親友が北海道に呼んでくれた

北海道、やっぱさむい

足がすごい辛いね

滑るし、底冷えするし

エスキモーの様なかっこして生きてる

今です

友達は某有名アパレルで働いているため

パジャマや衣服を貸していただいています

とても有難いです

最強極暖ぽっかぽか

 

 

将来の話をしたり

昔の話をしたり

今の話をしたり

忙しなくて話すことが多過ぎて

まとまらない伝えたいことがあり過ぎて

嬉しい

10年以上の友達、財産、宝物

理解者で、寛大で、ユーモラス

わたしにないものたくさーんあってね

ほんと、良い子なんだ

良い子なんだよ

旅は道連れ世は新年

年末年始は南から北へ帰省の移動が凄まじかった

再来週には北海道に行くし

佐賀から始まり岡山、兵庫、京都、山梨、新潟、そして札幌

 

京都で先日稲荷大社で御神籤を引かせていただくと

向かう先大吉

とでた

今年はたくさんの難が訪れるけど

それにむしろ立ち向かえば信望を得る

と書いてあった

 

ちょっとだけがんばろうか…と

病は すみやかになおる と

 

精神疾患を抱えて8年が経とうとする今年

難を乗り越え授かりものに巡り会えるように

生きたい

 

 

つまらない日記を久しぶりなのに書いてる

 

父の深酒に付き合い

母ドレス姿を見せることができ

この旅はとりあえず、明日で帰着

 

再来週の札幌まで、体調ととのえなきゃな

 

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有明海の初日の出

すごい綺麗だった

 

地に足をつく

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自然とともに働いたりしていると、日増しに体調の変化に気がつく

一番は気持ちの変化 以前よりも前向きになれるときが増えたような気がするし、運動も進んでやりたいと思うようになった。お天気商売は、人間には抗えない色んな摂理や現象に対して、無闇に反発しても痛いめを見るだけなので、大概のことを寛大に思えるようにならなければならないと感じた。前向きに生きていかねば、農業はやっていけないんだ。

しかし気持ちは前を向いていても体がついていかなければ辛い。 若い頃と違って寝たら大丈夫とはなかなかいかないのが現実で、日々腰の痛みや足の痺れ、肩こりの頭痛や憂鬱との戦いでもある。 けれども、悠然と、どっしりと、大地はそこに在り、またそこに力強く根を張る植物たちは、なんて屈強なんだろう。人間のひ弱さを知る。

けれども同時に生きているを実感する。人という生き物であることを目の当たりにして、かけ離れていた自分の中のふわふわしていた思いが、地面にゆっくりと片足ずつ降りて行く感じで。

今、私は、周りの存在にとって、様々な利や害を産んでいることは間違いない、生きている限り。それは蜂にも、アリにも、目に見えない菌にも同じことが言える。私もそしてそれらと同じ。

農作業をして、いざ街中に戻ると痛感する。人の目線や、心の狭さと、視野の狭さに。

私が離れていっているのか。それとも私は戻っているのか。本来の姿というものに。

それを悩むのはナンセンスなのかもしれないけれど。

それぞれにとって、快適な住まいはあるはずなのだから。

私にも、見つかるといい、作って行けるといい、生きるべき場所を

影路頭

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結局自分が何を言いたいのか、じふんでもまだ分からないうちは、どこかしらが子供なんだと思っている。

見知らぬ街をきょろきょろしながら歩く子供のように、心は探究心に満ちて、不安も、ワクワクで消えて。そんな明るいイメージを持ってして自身を思考の迷宮から守ろうとしている、ようなか気がする。

結局、明確なオチがみえない。正解を探してからその道筋を辿ろうとして、迷子になるのが関の山で、何が言いたかったんだろうって思う事山の如しで。

あの時口から出たなっていた言葉はどこへ、どこへ行ってしまったのだろう、違う言葉と共に空気中の二酸化炭素となって空に溶けてしまったのだろうと思うと、寂しい。まるで、カゲロウを体内に飼っているみたい

生み出しては死に

生み出しては死に

何も摂取しないという、かれらは、子孫を残すまで。不思議な生き物。彼らには悲しみと痛みは感じるのだろうか。否であろう

私はカゲロウににてる、言葉が

浮かんで生まれては消える

カゲロウは、寂しくない

カゲロウに、もっと近づきたい

 

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この頃、朝夜と、昼間の寒暖の差が激しいなと感じる

朝起きて、寒くて布団を体に抱き寄せて、のそのそ起きると、部屋がひんやりとしてる

外に出る機会を増やしたせいか反動で落ち込みぎみだったけれど、昨日、入院中に知り合って仲良くなった女の子たちと三人で昼間の3時から焼き鳥を食べに行き、飲んだ。引っ越してきてもう間も無く一年が経とうとしているけれど漸く、仕事以外の友達で飲み会をするのは初めてで、気兼ねなく飲み話せることの楽しさを再確認した。

レズ、バイ、ノーマル

色々の自分だちだけれど、私たちはその日、個人として三人だった

仕事以外の繋がりはとても大切。日常を忘れることができる

わからない話はしてもつたわらない、だからする必要がない。楽しい酒にはそんな話はいらない。どこまでも、どこまでも人間で、感情があって、酒すら及ばぬ理性の深部から、笑い転げられる日がきますようにと願ってやまなかった。